はらぺこあおむしのぼうけん

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幸せは一種の健忘症。期待と絶望は健全な精神の証拠 新潮クレスト「ロスト・シティ・レディオ」

こんにちは。

新潮クレスト「ロスト・シティ・レディオ」です。

 

ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)

 

内戦中の架空の都市の首都。主人公はノーマというラジオパーソナリティの女性です。彼女は日曜日の夜に、視聴者からリクエストがあった行方不明者を探すレギュラー番組を持っていました。ある日、ラジオ局にビクトルというぼろをまとった少年がノーマを訪ねてやってきます。彼が持っていたのは、彼の生まれ育った1797村の行方不明者リスト。それを届けるために、彼は村から送り出されたのです。

ノーマにはレイという夫がいます。彼は出会ったときから謎多き男で、数年前に失踪。ノーマから見ても怪しい組織とつながりがあるように思えていたのですが、過去を聞いてもはぐらかすばかりで、彼の過去に疑問を持っています。ビクトルが持ってきた1797村の行方不明者リストにレイの名前を見つけ、ノーマはレイの過去を知っていくことになります。

 

文章の構成は、現在と過去の往復でちょっと読みにくいのですが、謎多き男の過去がだんだん明らかになっていくという壮大な謎解きなので飽きずに読めます。海外文学といえば欧米に偏りがちな読書家は多いと思いますが、私もその一人。戦争といえば国家対国家の争いしか知らない私にとっては、独裁政権や何年も続く内紛の話は新鮮でした。どんどんこういう地域の話が邦訳されるといいなと思います。

 

印象的なのは、全体に流れる無気力さ。1797村はたびたび軍の徴発に遭っており、軍人が入ってきたら母親は森の中に子どもを隠して守ったりしていますが、いつ何がおこるかわからないという恐怖疲れからくる無気力さが村を支配している。運命を受け入れているといえば聞こえが良いですが、実際他の選択肢がないんです。先祖代々この土地で暮らしてきて、他の生き方を知らないからこの村でしか生きていけない。

でも子どもは結構柔軟です。ビクトルにはニコという友達がいて、彼は村を出たい村を出たいといつも言っていて、怖いはずの軍人にも興味津々。通りかかった軍人に「なんでこんな暑い村に住んでるの?」と聞かれ「俺だってこんな村は嫌いだ!」と言ってのけます。「こんな村に生まれたら、出ていくときに本当の人生が始まる」という言葉が的確に彼らの人生を表しています。

 

そんな1797村のみんなが楽しみにしているのが、日曜夜のラジオ。村を出て行方不明になった人が見つかるのではと期待を込めて聞きます。「彼らは日曜日を待った。そして次。そして次。日曜日の夜は記憶するということがどれほど危険か、ビクトルの心に焼き付けた。母親はあの亡霊、父親についての知らせを求めて耳を傾けているのだろう。」ビクトルの父親も行方不明者です。母は父の情報を求めて期待してラジオを聞いては絶望している。いっそ忘れられたら楽なのに。

そしてこう続きます。「ビクトルは祈った、僕の番が来たときは母親に忘れてもらえますように。彼も首都に旅立つつもりでいたからだ。幸せは一種の健忘症なのだろう」と。もちろんビクトルは架空の存在ですが、子どもにこんないらんことを考えさせるなんて罪だよ。子どもなんて夏休みのカルピスが濃いか薄いかで一喜一憂しておけばいいんだってば。

 

幸せは一種の健忘症。そして、忙しくて自分の不幸にすら気付かない状態もある意味幸せかもしれません。戦争が終結し、ノーマのもとには大量の電話がかかってきました。「戦闘が終わったいま、人々は突然、必死になって訪ねてきた。私の愛する人はどこに行ってしまったの?と」

これね、「この世界の片隅に」にもおんなじようなシーンがあったのですよ。玉音放送を聞いた途端緊張の糸が切れ、今更娘を失ったことに絶望する義姉の姿。戦争などの極限状態は人に「生きる?」「死ぬ?」の二択を皆に等しく迫り、「命あってよかった」と感謝する日々を強いるわけです。期待も絶望もする時間がない。でも、そんな日はいつか終わり、「朝ごはん何食べようか?」と悩むときが訪れる。そんなときにやっと、大切なものの不在に気付いて愕然とするのです。

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

この世界の~に続き、現在鋭意読書中の銀河英雄伝説、それにコレ。まったくの他人事とも思えず神経すり減らします。モモでも読もうかな。

 

おわり。