はらぺこあおむしのぼうけん

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人は過去の自分を幸せにしながら生きている 映画「ビッグフィッシュ」

「私は英国王に給仕した」というホラ話で思い出した、映画「ビッグフィッシュ」のレビュー。
結構有名な映画で、何度も見たのですが、若い頃はあんまり好きな話ではありませんでした。
なんかこう、哀しげというか、共感できねぇなぁという。

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主人公はウィルという男性。彼の父は作り話の天才で、いつも人々をそのおとぎ話で魅了しています。小さい頃のウィルは父親を自慢に思っていましたが、成長するにつれ、いい年して妄想話ばかりを語って聞かせる父親に不快感を示します。そしてウィルの結婚式、巨大な魚(ビッグフィッシュ)の話を列席者に聞かせる父。それ以来、ウィルと父は断絶状態となります。
ある時母親から、父親はもう長くはないと聞かされたウィルは父と向き合うことに。「お父さんの本当の話を聞きたい。本当のお父さんの人生を教えて」ウィルは、父にそう問いかけます。

この映画、話の展開よりも、父親の作り話を見て楽しむのがメインです。
父親の回想という形で、北欧神話のように巨人が出てくる話や、色鮮やかなサーカス団の話など、大人のおとぎ話を堪能できます。ロードオブザリングやディズニー映画を細切れに見ていくような感覚。とにかく美しい映像に引き込まれます。

さて、なぜ父は嘘をつくのでしょうか?
病床の父は、何を聞いてもおとぎ話ではぐらかしてばかりで、最後まで見ても、この答えははっきりとは明かされません。でも一つだけ確かなのは、父の物語の中にも真実があったということです。嘘にまみれた人生かと思っていたら、その嘘の中に真実を見つける。そして父の過去を知る人物を通じて、ウィルは父の人生を想います。「その先を聞かせて」ウィルは父のおとぎ話を最後まで聞きます。
父の葬式には、架空の存在と思われた物語の登場人物が参列していました。湖に入った父はビッグフィッシュとなり、自然に帰ってゆきます。

若い頃は息子のほうへ感情移入していましたから、現実から目を背けて妄想の中に生きる父親は理解できず、許せねぇ、かっこ悪い、という気持ちでした。ただ、今見ると父親の気持ちもわかる気がするのです。お父さんは、自分がくだらない話をしているということは認識しています。久々に対面した息子に、「子どもに馬鹿げた話を聞かせても、立派な大人になってしまうなぁ」と感慨深げに声をかけます。このシーンが寂しげで印象的でした。


人間の頭には、「忘れる」という重要な機能が備わっています。それは今を、そして明日を生きるため。嫌なことをどんどん捨て去り、今の自分を幸せにしようとします。とても動物的な一面ですね。同時に人間は、過去の自分に支えられて生きています。昔の自分はこうだった、だから自分はまだできる、と。

「思い出補正」という言葉があるように、昔を思い返すと意外と幸せな思い出が出てくるものです。人は、人に愛された、必要とされた、認められた思い出を大切にしています。そういう思い出がなければ、人は簡単に折れてしまい、前を向いて生きていけません。

そんな思い出はだいたい、事実と妄想がない交ぜになったもの。
過去の喜びを何度も何度も思い出し、小さな綻びは妄想の力を借りて埋め、過去の自分を褒める。過去の悲しみから目をそらし、妄想で包んで綺麗な思い出に作り変え、過去の自分を慰める。そうやって素晴らしかった過去の自分に支えられ、今を生きる糧にする。
人間、こういう一面が誰にでもあると思います。

ただ、昔の武勇伝を語りまくる老人は大っっっっっっ嫌いですw 過去の自分を妄想で慰めるのは結構ですが、それを面白い話に昇華できないなら、心の中だけにとどめておけよチェリーども。
ウィル父が愛されたのは、武勇伝ではなくおとぎ話だったからなんでしょう。

ただ、映画に出てきたお父さんに対して思うのは、子どもは幸せにしてあげてほしい、子どもの思いには応えてほしい。死に際に息子を幸せにしても、自分の生き方が無意識に息子を傷つけてきた過去が全て清算されるわけではないですから。なんて、複雑な気持ちになります。


人は現実と向き合うために妄想の力を借りる
そして、
人は過去の自分を幸せにしながら生きてゆく生き物である

この映画を見ると、こんな小さな悪癖を含めて、人間というのは愛すべき存在なんだろうと感じます。

おわり。