はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

信じたのか、受け入れたのか 「セーフ・ヘイブン」

こんにちは。


「セイフ・ヘイブン」

ラブロマンスでもありサスペンスでもあり、不思議な映画でした。


セイフ ヘイヴン [DVD]

 

女が警察に追われるシーンからはじまる本映画。最後の最後まで、本当に気が抜けません。ハートフルな映画と思って見始めたのに手汗すごいw うわー!みつかっちゃうよ!逃げて逃げて!!!ドキドキハラハラ。

 

逃げてきた女はケイティと名乗り、海辺の小さな町で暮らし始めます。雑貨屋の店主アレックスは数年前に愛する妻を癌で亡くし、男手一つで娘と息子を育てている。お隣の家には気さくな女性が住んでいて、良きお茶飲み友達に。

この時点で、いい感じの町にたどり着いた(おそらく)人殺しが、仕事、家、恋、親友、なんでこんな簡単に手に入れるなんてどんだけ〜!となるのですが、それは一旦置いといて。

惹かれ合うアレックスとケイティ。しかしアレックスはケイティの指名手配ポスターを見つけてしまいます。罪状は、殺人。ほらやっぱり。アレックスはケイティを問い詰めます。ケイティは「勘違いだ。悪い男に引っかかった」と主張しますが、アレックスは信じられない。ケイティはこの町を出て行くことにします。思い直し、ケイティを追いかけるアレックス。ケイティの過去には何があったのか? そして二人はどうなる?

 

という話ですが、DVDのパッケージはアレックスとケイティがキスしているわけですから、結ばれるというオチは書いていいと思います。ポイントは、アレックスはケイティを信じたのか、それとも受け入れたのか、というところ。彼は、ケイティを追うのか一人で黙考して決断します。ありがちなパターンで、ケイティの過去を知る人が知らせてきたり、ググったら事実を知ってしまったり、そんな都合のいいことことはありません。自分の感覚だけを頼りに決断するのです。それは、ケイティが信じるに値する人間とジャッジしたからなのか、それとも、犯罪者であろうが構わないと思ったからなのか、どっちでしょう?

 

ケイティは謎めいている女ですし、あからさまに警察を避けている、そのあたりで材料は揃っています。子どもがいるからテキトーな判断はできないアレックスですが、私は、彼の表情を見るに、全てを捨てる覚悟でケイティを受け入れたのだと思いました。「とりあえず一旦信じてみるわ」じゃなくて、「俺はもう逃げねぇ」という、愛に見えた。さあ、どっちかなぁ?

 

さて、この映画、ストーリー以上に構成が素晴らしいです。え!うそ!死ぬ!?マジで??ってなり、最後にはえええええ!そういうことだったの!と衝撃の事実が。わーーっと涙が出てきます。そして、二度見をしました。こんな語彙力ですいませんw

 

とにかくネタバレ厳禁で、2時間ハラハラドキドキしてほしいなと思います。

 

おわり。

山よりも高く海よりも深い母の愛 映画「私の中のあなた」

こんにちは。

大ベストセラーになった小説の映画化です。「私の中のあなた」

 

私の中のあなた [DVD]

 

私は映画を見る前に予告を見たくない人です。「全米が泣いた」とか「この夏最高の」とか「涙が止まらない」とか平気で言っちゃうし、結論を誘導してくるし、何より予告が一番おもしろいからです。でも、見た後はとりあえず予告もチェック。さて、本作品もご多分にもれず「この秋、自分史上最高の涙が…」と。自分史上最高とか結構強気に出ていますが、これはほんと、涙無しには見られない、2時間泣き通しの作品でした。

 

アナには、ケイトという姉がいます。姉はかなり重度の白血病で、腎不全を起こしており、腎臓移植しか打つ手はありません。アナはケイトの腎臓ドナーとして作られました(ドナーベビー)。「だいたいの命は、酒の勢いや避妊の失敗でハプニング的にできるけど、私は違う。子どもを計画的に作るのは不妊に悩む夫婦くらいのものだろう。姉の病気がなかったら、私の命はあったのか」という独白から始まり、アナの体は生まれた時からすでに姉の一部であるという重い荷を背負っていることがわかります。アナは、腎臓提供を含めた自分に対する医療的行為の停止を求め、両親を訴えます。

この映画、腎臓移植をできるか否か、がポイントに思えるのですが、途中で、何かちょっとおかしいことに気づきます。過去や現在が入り乱れるのでわかりにくいのですが、よく見ると、訴訟を起こした時点でケイトはすでに移植に耐えられる体に思えません。じゃあなぜ訴訟を起こしたのか?その真意はどこに?それは最後に明かされます。

 

さて、がん患者の家族は第二のがん患者、って言葉知っていますか? 家族も、がん患者と同様に金銭的・精神的負担を負っているという意味です。精神疾患を患う場合も多いとか。今まで見えにくかった家族の負担について、最近は目が向けられているそうです。

本作品も、アナ、ケイト、ジェシー(アナの兄)、サラ(母)、ブライアン(父)それぞれの視点から語られる家族の闘病日記的な側面があります。「我が家の一番の関心事項は私の白血球数値。ジェシー失読症は二の次」と、子どもたちもそれぞれ寂しさを抱えて生きているようです。

 

私が一番共感してしまったのは母親。

「私の14年間の戦いはどうなるの?」

特にこのセリフです。他の家族とは温度差があるんですね。他の家族は心のどこかで、ケイトの死を受け入れようとしています。しかし母親は、ヒステリックで、ケイトを含め他の家族の意向を無視して突っ走る。ケイトの病状が悪化しても、ホスピスへの入所や一時帰宅を拒否。「あの子は移植をして助かるの!」と強硬に主張して譲りません。彼女はケイトの病気が分かった時からずっと戦い続けている。ドナーベビーを作ろう、仕事をやめよう、食事にも出来る限りこだわって、異論を唱える夫の口を封じ、アナやジェシーの心が離れようとも、ケイトのためにずっと戦っているのです。

あるとき、「あなたは最後まであきらめない母親でいたいと必死で戦っている。それ以外のものは何も目に入っていない」と諭されるサラ。しかし、ケイトの死を受け入れることはできない、と答えます。

 

孤軍奮闘し、病院スタッフや家族からも遠ざかっていくサラの姿を見て、ケイトは心を痛めます。自分のために必死になっている家族の姿なんて見ていられませんから。

その反面、子の死を受け入れる準備ができる親なんていない。受け入れられるわけなんてない。どんなに選択肢がなくなっても、必死に策を考える。多くの母親はそうでしょう。そういう点では、病気と一番最後まで戦ったのはサラだったのかもしれません。

 

アナは姉の死で得たものなんてない、ただ、私には素晴らしい姉がいたといういうだけだ、と姉の死を理解します。小説や映画の中には、人の死に大きな意味を持たせ、残された人間の人生に奇跡を起こすものも多くありますが、悲しいかな、実際はこんなところでしょう。死は、ごくごく身近な人に時々思い出されること。死は死。無。そういう点で、死とは何か?を飾らずに表現した作品と言えると思います。

 

そうそうそうそう、

冒頭に映画予告の話をしましたが、この予告、「一度壊れかける家族が再度まとまる」みたいなことを言うんですよ。でも、劇中に、「姉の死で、家族が生きていくきっかけを得た?そんなことはない」「ただ姉は青空になっただけ」という独白があり、もうちょっとよく見ろやって思ったものです。

 

最後はdisってしまいましたが、

子どもの演技がうますぎてほんと、直視できない。涙が止まりません。

人によって感情移入できるポイントが違うはず。一度は見てもらいたいです。

 

おわり。

夫と喧嘩できますか? 映画「かぞくはじめました」

今回ご紹介するこの映画、日本では公開中止になった作品で、あまり知られていません。

 

かぞくはじめました [DVD]

 

原題は「Life as we know it」です。私たちが知っている人生?…人によって解釈が違うこの言葉ですが、「かぞくはじめました」はどうかな?冷やし中華か。

最近映画見ると、邦題いらなくね、っていう洋画多くないですか?これ別に、家族になっていく話ではないです。クソ仲の悪い男と共同経営者として親友の子どもを育てる中で、キャリアや夢にどう折り合いをつけるか。子どもの人生を考える上で、共同経営者とはどのような関係が望ましいのか、自分の恋愛・結婚をどう実現するか、そもそも自分は何をしたいのか。いきなり子どもを背負うことになった2人の若者が、様々なことを迷って人生を考えた話なんです。もしかしたらタイトルに、命のlifeと人生のlifeがかかっているんじゃないかな、と私は思ったのですが。

そもそも家族ってなんだよ。家族の始まりって、3人での生活が始まったところを指しているの? それとも、ホリーとエリックがデキてからですか? せめて原題に入っているlifeは活かしてほしかった。ホリー、エリックが、大切なソフィーのことも考えながら、それと同じくらい大切な自分の夢や人生に向き合おうとしていた話を、家族になろうとした話としてとらえられるのはどうか。

 

前置き長くなってごめんなさいw

とにかく言いたいのは、変に訳さないで、原題で良いですよということ。勝手にテーマを解釈された挙句に、最後の恋だの初めての愛だの家族だの耳当たりのいい簡単な言葉で片付けられることで、安っぽい映画に見られるのは原作にも観客にも失礼な気がするからです。今回も、「かぞく」「笑いあり涙あり」「ハートフル」、これでもかと安っぽい言葉詰め込んでこないでw

 

とまぁ、大層なこと言ってきましたが、ホリーとエリックの関係だけ見るとただの陳腐なラブコメです。

 

子どもを一緒に育てることになった男女の話。主人公は、レストラン経営をしているホリー。ホリーの親友アリソンは、夫ピーター、ソフィーという娘の3人家族。あるとき、事故でアリソンとピーターが亡くなってしまい、遺されたソフィーの親権者としてホリーと、ピーターの親友でスポーツチャンネルの監督をしているエリックが指名されました。2人は、ソフィーを育てることに…

さて、大親友の夫の大親友といえば常識的に考えて、仲が良い相手だろうとお思いでしょうが、この2人はクソ仲が悪い。以前、アリソンとピーターが2人をデートさせようと引き合わせたことがあって、エリックは何時間も遅刻した挙句に、レストランの予約もせず、しかもセフレからの電話に「あとでね〜」と回答する始末。エリックとホリーは大げんか。その後、結婚式や子どものバースデーパーティで顔を合わせますが、ささいなことで口喧嘩をしています。

もうこの辺りで展開が読めますね。大親友の夫の大親友であろうが、嫌いな奴とは会話しないようにすればいいのに、結局突っかかっていって喧嘩するんです。バーベキューとかもワイワイしたりするし。と、2人の恋愛模様は典型的なラブコメなので割愛しますw

 

私が思ったのは2点。

ひとつは、共同経営者として育児をすることで、揉め事が格段と減っているということ。彼らは、オムツ替え、ごはん、夜の世話などが50/50になるよう分担を決め、「気づいた方がやる」というような曖昧な約束はしません。クソ仲が悪いので、協力もほとんどしません。これを夫婦に導入すると意外に上手く回るのかも。相手に期待せず、夫/妻を1人の共同経営者とみなすと、いらん争いは生まれないのかも。逆にいうと、相手を他人以上の存在、簡単にいうと家族と思っているから生まれる争いもあるのかもしれない。

 

ふたつめ。「君たちのような喧嘩ができていれば、僕は離婚しなかったよ」というサムのセリフ。サムっていうのは、バツイチ男でソフィーのレストランに通っていたハンサムガイ。ポリーはサムと付き合い始めるのですが、あるときポリーは、エリックとの大喧嘩をサムに聞かれます。2人の喧嘩に圧倒されるサム。そのときサムは、このセリフを言い、別れを告げました。

喧嘩というのは、何かを乗り越えるためにするものです。喧嘩しない夫婦は、何も乗り越えていないということです。どちらかが折れているか、金や何かをつかって問題へ直面するのを避けていたり。でっかい問題が出てきたら、決定的な亀裂が入るんですね。

私も耳が痛いです。私は一人っ子なのもあってか喧嘩の収拾の仕方がよく分からず、友人との付き合いも近づきすぎず距離を置く派です。まぁ、今更ガチンコでぶつかることもできないので、そんなしょうもない私とつるんでくれる穏やかな友人を大切にしていきます。ちなみに夫もとっても穏やかです。

 

実は、喧嘩しただけ多くの問題を乗り越えている。

でも離婚する夫婦も喧嘩ばっかりだと思うんだけど、そこはどう説明をつければいいのかな? それは、離婚してみてからのお楽しみ。

 

おわり。

【6月映画公開】魅力的な人間は過去に支えられている「ガラスの城の約束」

6月に映画公開するこちら。「ガラスの城の約束」ノンフィクション作品です。

ガラスの城の約束 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

さて、「魅力的な人間は過去に支えられている」これ、私が考えたわけではなく、謝辞っていうんですか、一番最初に出てくる挨拶みたいなの、あれに書かれていました。「BIG FISH」に続いてこんなお話。

dandelion-67513.hateblo.jp

 主人公のジャネットは、ニューヨークで暮らす成功者。あるときゴミ箱をあさる浮浪者の母をみかけます。ジャネットは、父母、姉、弟、末妹の6人家族で育ちました。トレーラーハウスとやらに住んでいる極貧家庭です。父は新しいエネルギーを開発してエネルギー王になる的なことを言っていて、母は、私画家になる、ピカソも昔は不遇だったとか言ってしまう、どっちも一発当ててやる系父母。犯罪まがいのこともしますし、税金など滞納をしているので、常に追われる生活。いつもいつも、夜逃げばかり。

ケガをしたときに呪術医に見せたりする、といえばだいたいお察しいただけると思いますが、育児放棄に正当な理由をつけて自分をごまかしている母。こういう父母のもとに生まれた3人の兄弟が、力強く行きていく様子と、大人になるまでの葛藤。そして大人になってからの親との微妙な関係を描いた作品です。

 

親って、好きですか? 「好き!」と即答できる人、それはとっても幸せな人か、洗脳されている人かの二択だと思いますw 好きだし、好き以上の感情はあるけれども、割り切れないものも持っている、そういう人も多いのではないのでしょうか。

 

ジャネットも、被虐待児と言っても過言ではありません。両親の浪費のせいでごはんがまともに食べられない、喧嘩ばかり、叶わぬ夢を見ていて子どもの意見なんて聞きやしません。しかし、子どもながらに幸せを確かに感じるているんですね。「お前は天才だ」って言われたこと。「お前は自慢の娘だ」って言われたこと。そんなことを時々思い出しては、心を慰めている。

そして、年齢を重ねて自分の親を客観的に判断できるようになり、自分の親がダメ親だと知ってしまった後でも、どこかで親を慕い続け、親が苦しんでいる姿を想像しては、呼吸が上手にできなくなるほど胸を締め付けられています。

 

普通に考えて、ジャネットが父母に抱く感情や父母への行為と、父母から子どものときに受けた行為とは、到底ペイできるものではないんです。赤の他人が見たら、「そんな親捨ててしまえ」となるわけです。でも、できない。できるわけがない。

子どもって、すごいんですね。なぜか親が大好きなんです。親との悲惨な思い出を美しい思い出に転換する。苦しい出来事も、自分を悪者にすることで父母を良き存在として解釈し続ける。確かに愛されていたという思い出が、子どもの心を鷲掴みにして離さない。無償の愛というのは、親が子どもに与えるものではなくて、子が親に対して持っているものなんだろうと思います。

それが冒頭の「過去に支えられる」ということを指します。

 

親はずるい。気まぐれに示した愛の一つや二つで、生涯の子どもからの愛を獲得できる。そして、今まで子どもにかけた苦労や心につけた傷は、死ぬ前の「ごめんね」で水に流してもらえる。「毒親」という言葉が知られるようになって、親と子のこういったいびつな関係が浮き彫りになってきたように感じますが、古くからこういうことはあっただろうと思います。

 

親目線で。そして娘目線ではっとさせられることも多々ありますし、身を切られるような情景も浮かんだり。これがこの家族の答えか、と腑に落ちない部分もあったり。

どのように描かれるか、映画公開が楽しみです。

 

おわり。

藤原竜也と伊藤英明に騙されたい 「22年目の告白-私が殺人犯です-」

こんにちは。

藤原竜也伊藤英明に騙されたい人はこちら。「22年目の告白 -私が殺人犯です-
最後まで目が離せず、あー!ってなりました。

22年目の告白-私が殺人犯です- ブルーレイ&DVDセット(2枚組) [Blu-ray]

舞台は現代。ある男が殺人を告白します。
その事件とは、22年前に起こった連続殺人事件で、すでに時効を迎えていました。曽根崎と名乗るこの男は、手記を出したりサイン会をしたりやりたい放題。イケメンですから、ソネ様ともてはやさりたりして、被害者遺族は彼の行動に翻弄されます。

さて、連続殺人の被害者の1人である牧村。彼は一度は犯人に発砲し追い詰めたのですが、すんでのところで逃してしまいます。牧村を憎んだ犯人は牧村の自宅で牧村の敬愛する先輩を殺害。その日部屋にいたはずの妹はいまだに行方不明です。

牧村と曽根崎の対決と思われるかもしれませんが、そんなことはない、大どんでん返しが待ってます。
序盤の曽根崎の演技は、ぶちギレそうになるくらい、憎たらしいw 言うまでもありませんが、藤原竜也伊藤英明の演技は一級品でございます。


まぁこれ以上はネタバレになるので詳細は書けないのですが、無理のないどんでん返しというか、腹落ちする展開です。どんでん返し系の作品で多いのが、矛盾が出てきたり、真犯人の動機が単純だったりして、意表を突くためだけの犯人が登場してたりするのですが、本作品はまぁ、わからんこともないなぁ、という、全体がつながっています。伏線の回収も良い。

「被害者遺族に医者がいる」
がポイント。

おわり。

人は過去の自分を幸せにしながら生きている 映画「ビッグフィッシュ」

「私は英国王に給仕した」というホラ話で思い出した、映画「ビッグフィッシュ」のレビュー。
結構有名な映画で、何度も見たのですが、若い頃はあんまり好きな話ではありませんでした。
なんかこう、哀しげというか、共感できねぇなぁという。

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主人公はウィルという男性。彼の父は作り話の天才で、いつも人々をそのおとぎ話で魅了しています。小さい頃のウィルは父親を自慢に思っていましたが、成長するにつれ、いい年して妄想話ばかりを語って聞かせる父親に不快感を示します。そしてウィルの結婚式、巨大な魚(ビッグフィッシュ)の話を列席者に聞かせる父。それ以来、ウィルと父は断絶状態となります。
ある時母親から、父親はもう長くはないと聞かされたウィルは父と向き合うことに。「お父さんの本当の話を聞きたい。本当のお父さんの人生を教えて」ウィルは、父にそう問いかけます。

この映画、話の展開よりも、父親の作り話を見て楽しむのがメインです。
父親の回想という形で、北欧神話のように巨人が出てくる話や、色鮮やかなサーカス団の話など、大人のおとぎ話を堪能できます。ロードオブザリングやディズニー映画を細切れに見ていくような感覚。とにかく美しい映像に引き込まれます。

さて、なぜ父は嘘をつくのでしょうか?
病床の父は、何を聞いてもおとぎ話ではぐらかしてばかりで、最後まで見ても、この答えははっきりとは明かされません。でも一つだけ確かなのは、父の物語の中にも真実があったということです。嘘にまみれた人生かと思っていたら、その嘘の中に真実を見つける。そして父の過去を知る人物を通じて、ウィルは父の人生を想います。「その先を聞かせて」ウィルは父のおとぎ話を最後まで聞きます。
父の葬式には、架空の存在と思われた物語の登場人物が参列していました。湖に入った父はビッグフィッシュとなり、自然に帰ってゆきます。

若い頃は息子のほうへ感情移入していましたから、現実から目を背けて妄想の中に生きる父親は理解できず、許せねぇ、かっこ悪い、という気持ちでした。ただ、今見ると父親の気持ちもわかる気がするのです。お父さんは、自分がくだらない話をしているということは認識しています。久々に対面した息子に、「子どもに馬鹿げた話を聞かせても、立派な大人になってしまうなぁ」と感慨深げに声をかけます。このシーンが寂しげで印象的でした。


人間の頭には、「忘れる」という重要な機能が備わっています。それは今を、そして明日を生きるため。嫌なことをどんどん捨て去り、今の自分を幸せにしようとします。とても動物的な一面ですね。同時に人間は、過去の自分に支えられて生きています。昔の自分はこうだった、だから自分はまだできる、と。

「思い出補正」という言葉があるように、昔を思い返すと意外と幸せな思い出が出てくるものです。人は、人に愛された、必要とされた、認められた思い出を大切にしています。そういう思い出がなければ、人は簡単に折れてしまい、前を向いて生きていけません。

そんな思い出はだいたい、事実と妄想がない交ぜになったもの。
過去の喜びを何度も何度も思い出し、小さな綻びは妄想の力を借りて埋め、過去の自分を褒める。過去の悲しみから目をそらし、妄想で包んで綺麗な思い出に作り変え、過去の自分を慰める。そうやって素晴らしかった過去の自分に支えられ、今を生きる糧にする。
人間、こういう一面が誰にでもあると思います。

ただ、昔の武勇伝を語りまくる老人は大っっっっっっ嫌いですw 過去の自分を妄想で慰めるのは結構ですが、それを面白い話に昇華できないなら、心の中だけにとどめておけよチェリーども。
ウィル父が愛されたのは、武勇伝ではなくおとぎ話だったからなんでしょう。

ただ、映画に出てきたお父さんに対して思うのは、子どもは幸せにしてあげてほしい、子どもの思いには応えてほしい。死に際に息子を幸せにしても、自分の生き方が無意識に息子を傷つけてきた過去が全て清算されるわけではないですから。なんて、複雑な気持ちになります。


人は現実と向き合うために妄想の力を借りる
そして、
人は過去の自分を幸せにしながら生きてゆく生き物である

この映画を見ると、こんな小さな悪癖を含めて、人間というのは愛すべき存在なんだろうと感じます。

おわり。

現役の女子、そして、かつての女子に贈る「いつか眠りにつく前に」

12年前の作品なんだけど、何度でも見返す価値があるなぁと思っている映画です。若くていろんなことに挑戦する盛りの女子にも、何を思うにつけ後悔ばかりが先に立ってしまうかつての女子にも見てもらいたい作品です。

 

 

 

いつか眠りにつく前に [DVD]

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死の淵にある老女。

看病をする二人の娘が母親の人生に想いを馳せる。

過去の過ち、罪、不幸せだった結婚、華やかではなかった人生。

何者にもなれなかった老女は、最期に何を思うのか。

彼女は何かを残すことができたのか?

 

若いときって、自分は何者かになれるだろうと根拠のない自信を持っていますよね。大事を成すだろう、尊敬される大人になるだろう、親と同じ過ちは犯さないだろう。人の失敗を見ながら、自分は大丈夫と信じて疑わない。

 

でも多くの人はあるとき、自分はどこかで間違ったかもしれないと思い始める。自分の人生はどこにいった?本当に自分のものだったか?どこか別のところに自分の人生はあるのではないか?と。

 

この老女は、失敗して他の人生を夢見ているクチなのですが、彼女は失敗を恐れ何も挑戦してこなかった自分の人生を悔い、こう言います。

 

「でもたまに思うことがある。”七人の恋人がいる、サーファーの娘になりたい”」

 

この言葉、昔のことを思い出したので印象に残りました。

新入社員のときお世話になった先輩がいたんですね。彼女、私にとってはすごく憧れで、美人で気がきくからファンが多く、同性異性問わず友達がいて、学生の時から付き合っている人と結婚することに。

結婚報告を受けたとき、「いいなぁー。先輩はなんでも持っていて」って言ったんです。そうしたら彼女、「わたしはAさんが羨ましい。生まれ変わったら経験人数25人の女になりたいわ」って。は!???ってなりました。Aさんっていうのは共通の友人。男関係は派手でしたが、はたから見ててちょっとその男どうなの?っていうことも多くて、恋愛しては失敗し。とにかく恋愛体質。先輩は堅実ですから。初めての彼氏でアタリ引き当ててるお前の方が断然幸せだよと先輩に対して思ったのでした。

ただ、こんなに幸せそうに見える人も自分が選び得なかった他の人生を夢見ている(しかも来世に期待までしてるw)んだと気付いた時、実際マリッジブルーもあったと思うけど、私はびっくりすると同時に、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ「ざまぁw」と思ったのでした。私は先輩より10こも若いから、まだ時間があるわ、先輩みたいな後悔しないようにしよー(鼻ほじほじ)って。

 

それから10年もたちましたが、先輩の言葉のおかげでいらぬ後悔をしなかった部分もあるし、なんだかんだ言って、やっぱり後悔していることもたくさんあります。

この映画、女ばかりが出てくる映画の割に、テーマは少年マンガのように「挑戦して失敗しなければ何も残せない」なんですよね。

 

だから若い子は、「このババア達みたいな失敗しないようにしよー(鼻ほじ)」って思えばいいし、他の人生を夢見はじめている人は、それでも良かったんだと自分を肯定するために見るもよし。

 

彼女の人生はぱっとしなかった、でも最後の最後にそれを受け入れることで、やっと彼女の人生に光がさします。 

「人は謎めいた生き物よ。最期には多くのことにこだわらなくなる」

と、老女は言うのです。

 

この言葉で救われる人も多いだろうなぁと感じます。

現役女子も、かつての女子も、是非。

おわり