はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

藤原竜也と伊藤英明に騙されたい 「22年目の告白-私が殺人犯です-」

こんにちは。

藤原竜也伊藤英明に騙されたい人はこちら。「22年目の告白 -私が殺人犯です-
最後まで目が離せず、あー!ってなりました。

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舞台は現代。ある男が殺人を告白します。
その事件とは、22年前に起こった連続殺人事件で、すでに時効を迎えていました。曽根崎と名乗るこの男は、手記を出したりサイン会をしたりやりたい放題。イケメンですから、ソネ様ともてはやさりたりして、被害者遺族は彼の行動に翻弄されます。

さて、連続殺人の被害者の1人である牧村。彼は一度は犯人に発砲し追い詰めたのですが、すんでのところで逃してしまいます。牧村を憎んだ犯人は牧村の自宅で牧村の敬愛する先輩を殺害。その日部屋にいたはずの妹はいまだに行方不明です。

牧村と曽根崎の対決と思われるかもしれませんが、そんなことはない、大どんでん返しが待ってます。
序盤の曽根崎の演技は、ぶちギレそうになるくらい、憎たらしいw 言うまでもありませんが、藤原竜也伊藤英明の演技は一級品でございます。


まぁこれ以上はネタバレになるので詳細は書けないのですが、無理のないどんでん返しというか、腹落ちする展開です。どんでん返し系の作品で多いのが、矛盾が出てきたり、真犯人の動機が単純だったりして、意表を突くためだけの犯人が登場してたりするのですが、本作品はまぁ、わからんこともないなぁ、という、全体がつながっています。伏線の回収も良い。

「被害者遺族に医者がいる」
がポイント。

おわり。

人は過去の自分を幸せにしながら生きている 映画「ビッグフィッシュ」

「私は英国王に給仕した」というホラ話で思い出した、映画「ビッグフィッシュ」のレビュー。
結構有名な映画で、何度も見たのですが、若い頃はあんまり好きな話ではありませんでした。
なんかこう、哀しげというか、共感できねぇなぁという。

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主人公はウィルという男性。彼の父は作り話の天才で、いつも人々をそのおとぎ話で魅了しています。小さい頃のウィルは父親を自慢に思っていましたが、成長するにつれ、いい年して妄想話ばかりを語って聞かせる父親に不快感を示します。そしてウィルの結婚式、巨大な魚(ビッグフィッシュ)の話を列席者に聞かせる父。それ以来、ウィルと父は断絶状態となります。
ある時母親から、父親はもう長くはないと聞かされたウィルは父と向き合うことに。「お父さんの本当の話を聞きたい。本当のお父さんの人生を教えて」ウィルは、父にそう問いかけます。

この映画、話の展開よりも、父親の作り話を見て楽しむのがメインです。
父親の回想という形で、北欧神話のように巨人が出てくる話や、色鮮やかなサーカス団の話など、大人のおとぎ話を堪能できます。ロードオブザリングやディズニー映画を細切れに見ていくような感覚。とにかく美しい映像に引き込まれます。

さて、なぜ父は嘘をつくのでしょうか?
病床の父は、何を聞いてもおとぎ話ではぐらかしてばかりで、最後まで見ても、この答えははっきりとは明かされません。でも一つだけ確かなのは、父の物語の中にも真実があったということです。嘘にまみれた人生かと思っていたら、その嘘の中に真実を見つける。そして父の過去を知る人物を通じて、ウィルは父の人生を想います。「その先を聞かせて」ウィルは父のおとぎ話を最後まで聞きます。
父の葬式には、架空の存在と思われた物語の登場人物が参列していました。湖に入った父はビッグフィッシュとなり、自然に帰ってゆきます。

若い頃は息子のほうへ感情移入していましたから、現実から目を背けて妄想の中に生きる父親は理解できず、許せねぇ、かっこ悪い、という気持ちでした。ただ、今見ると父親の気持ちもわかる気がするのです。お父さんは、自分がくだらない話をしているということは認識しています。久々に対面した息子に、「子どもに馬鹿げた話を聞かせても、立派な大人になってしまうなぁ」と感慨深げに声をかけます。このシーンが寂しげで印象的でした。


人間の頭には、「忘れる」という重要な機能が備わっています。それは今を、そして明日を生きるため。嫌なことをどんどん捨て去り、今の自分を幸せにしようとします。とても動物的な一面ですね。同時に人間は、過去の自分に支えられて生きています。昔の自分はこうだった、だから自分はまだできる、と。

「思い出補正」という言葉があるように、昔を思い返すと意外と幸せな思い出が出てくるものです。人は、人に愛された、必要とされた、認められた思い出を大切にしています。そういう思い出がなければ、人は簡単に折れてしまい、前を向いて生きていけません。

そんな思い出はだいたい、事実と妄想がない交ぜになったもの。
過去の喜びを何度も何度も思い出し、小さな綻びは妄想の力を借りて埋め、過去の自分を褒める。過去の悲しみから目をそらし、妄想で包んで綺麗な思い出に作り変え、過去の自分を慰める。そうやって素晴らしかった過去の自分に支えられ、今を生きる糧にする。
人間、こういう一面が誰にでもあると思います。

ただ、昔の武勇伝を語りまくる老人は大っっっっっっ嫌いですw 過去の自分を妄想で慰めるのは結構ですが、それを面白い話に昇華できないなら、心の中だけにとどめておけよチェリーども。
ウィル父が愛されたのは、武勇伝ではなくおとぎ話だったからなんでしょう。

ただ、映画に出てきたお父さんに対して思うのは、子どもは幸せにしてあげてほしい、子どもの思いには応えてほしい。死に際に息子を幸せにしても、自分の生き方が無意識に息子を傷つけてきた過去が全て清算されるわけではないですから。なんて、複雑な気持ちになります。


人は現実と向き合うために妄想の力を借りる
そして、
人は過去の自分を幸せにしながら生きてゆく生き物である

この映画を見ると、こんな小さな悪癖を含めて、人間というのは愛すべき存在なんだろうと感じます。

おわり。

現役の女子、そして、かつての女子に贈る「いつか眠りにつく前に」

12年前の作品なんだけど、何度でも見返す価値があるなぁと思っている映画です。若くていろんなことに挑戦する盛りの女子にも、何を思うにつけ後悔ばかりが先に立ってしまうかつての女子にも見てもらいたい作品です。

 

 

 

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死の淵にある老女。

看病をする二人の娘が母親の人生に想いを馳せる。

過去の過ち、罪、不幸せだった結婚、華やかではなかった人生。

何者にもなれなかった老女は、最期に何を思うのか。

彼女は何かを残すことができたのか?

 

若いときって、自分は何者かになれるだろうと根拠のない自信を持っていますよね。大事を成すだろう、尊敬される大人になるだろう、親と同じ過ちは犯さないだろう。人の失敗を見ながら、自分は大丈夫と信じて疑わない。

 

でも多くの人はあるとき、自分はどこかで間違ったかもしれないと思い始める。自分の人生はどこにいった?本当に自分のものだったか?どこか別のところに自分の人生はあるのではないか?と。

 

この老女は、失敗して他の人生を夢見ているクチなのですが、彼女は失敗を恐れ何も挑戦してこなかった自分の人生を悔い、こう言います。

 

「でもたまに思うことがある。”七人の恋人がいる、サーファーの娘になりたい”」

 

この言葉、昔のことを思い出したので印象に残りました。

新入社員のときお世話になった先輩がいたんですね。彼女、私にとってはすごく憧れで、美人で気がきくからファンが多く、同性異性問わず友達がいて、学生の時から付き合っている人と結婚することに。

結婚報告を受けたとき、「いいなぁー。先輩はなんでも持っていて」って言ったんです。そうしたら彼女、「わたしはAさんが羨ましい。生まれ変わったら経験人数25人の女になりたいわ」って。は!???ってなりました。Aさんっていうのは共通の友人。男関係は派手でしたが、はたから見ててちょっとその男どうなの?っていうことも多くて、恋愛しては失敗し。とにかく恋愛体質。先輩は堅実ですから。初めての彼氏でアタリ引き当ててるお前の方が断然幸せだよと先輩に対して思ったのでした。

ただ、こんなに幸せそうに見える人も自分が選び得なかった他の人生を夢見ている(しかも来世に期待までしてるw)んだと気付いた時、実際マリッジブルーもあったと思うけど、私はびっくりすると同時に、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ「ざまぁw」と思ったのでした。私は先輩より10こも若いから、まだ時間があるわ、先輩みたいな後悔しないようにしよー(鼻ほじほじ)って。

 

それから10年もたちましたが、先輩の言葉のおかげでいらぬ後悔をしなかった部分もあるし、なんだかんだ言って、やっぱり後悔していることもたくさんあります。

この映画、女ばかりが出てくる映画の割に、テーマは少年マンガのように「挑戦して失敗しなければ何も残せない」なんですよね。

 

だから若い子は、「このババア達みたいな失敗しないようにしよー(鼻ほじ)」って思えばいいし、他の人生を夢見はじめている人は、それでも良かったんだと自分を肯定するために見るもよし。

 

彼女の人生はぱっとしなかった、でも最後の最後にそれを受け入れることで、やっと彼女の人生に光がさします。 

「人は謎めいた生き物よ。最期には多くのことにこだわらなくなる」

と、老女は言うのです。

 

この言葉で救われる人も多いだろうなぁと感じます。

現役女子も、かつての女子も、是非。

おわり

 

 

 

 

 

 

待てば海路の日和あり?「あと1センチの恋」

幼馴染の恋物語

なかなか結ばれなくて本当にもどかしいんだけど、なんと約12年!ハッピーエンドなので安心してください。笑

ロージーとアレックスは小さい頃からの友達で、いつか田舎町を出て大学はボストンに行こうと約束し、二人とも大学に行くことになるが、しかしロージーはクラスの男子と関係を持ち、妊娠してしまう。アレックスはボストンへ。ロージーは町に残り子育てをすることにする。

実は両思いなのに素直になれない照れくささ、若くして母親になったロージーが同世代の女の子に対して抱く劣等感。大きな事件は起きないんだけど、わかるわかるわかるーーー!ってなる。

 

とにかくすれ違いの12年。

一番印象的なのはロージーがアレックスに告白する場面。アレックスから、ボストンに遊びにおいでと言われたロージー。アレックスが昔自分のことを好きだったことに気づいているから、もうここは言ってしまえ!と告白するわけ。この一連の流れ、恋ってタイミングなんだよなぁと改めて。

 

本作のテーマ、というか大きな鍵みたいなものは、「抑えていた欲望はどうなるか」ということかな。

叶えたい夢があって、叶えようと努力したけれども(もしくは怖くて途中で諦めたけれども)、結局ダメで、再トライする気力も勇気もなくて、どうしても得られなかったものって誰にでもあると思う。

その叶えられなかった夢を消化するために一番やってダメなことは、その想いにすぐフタをすること。破れた夢を見て見ぬ振りして、次の拠り所をを探すこと。

フタをされた思いは、消えるどころか、心のゴミ箱の中で熟成されて、自分を悪い方向へ導いてしまう。自分の本当に欲しかったものをバカにしたり、今持っているものに必要以上に執着してしまったり。

 

自分の身に悲しいことや理不尽なことが降りかかった時には、どこかの自己啓発本なんかから拾ってきた「その出来事には意味があると思え」とか、「乗り越えられるから試練を楽しめ」みたいなことを即実行してしまいがちだと思うんだけど、やっぱりそんなに単純じゃないんだよね。

悲しみに正面から向き合う。

泣いて取り乱したりする。

時間が経過したり、自分の中で消化しようとする。

このステップを自ら越えた結果のポジティブシンキングなのであって、この過程をすっ飛ばしたとろこで生まれるのはカラ元気。

このステップをすっ飛ばしてしまうと、結局は何年か後に、20倍くらいの威力を持った消化不良の悲しみと向き合わざるを得なくなる。そして、大切なものを失ってしまう。

悲しいときはぜひ泣きましょう。

悲しみから目をそらさずにね。

 

でも、ロージーが変な男と結婚してしまったところとか、アレックスに遊びにきてと言われて飛び出してしまったところ、勇み足で告白してしまったところ、大変大変共感できる。「もう待つのに疲れた」とか、そうそうそうそう!!!ってなる。

とはいえ、心が弱っているときにする恋愛ほどろくでもないものはないんだけど、まぁそういうところは理屈じゃないしね。

私としては、「とりあえず好きって言っとけ!!」と思うことの連続だったんだけど、それは衝動的な破壊みたいなものでもあって、それはそれでうまくいかなかったのであろうとは思うけど。

何度でもいうよ、

恋は、フィーリング、タイミング、ハプニング

 

 

あと1センチの恋 スペシャル・プライス [DVD]

 

と、いうお話。

ぜひ見てみてね。

おわり。